男だって物語を求めるだろう: AERAの「女性向けアダルトビデオ」特集雑感

雑誌『AERA』が女性向けのアダルト作品の特集をしていた。しかしこの「女性向けの」特集を読んでいて男として違和感がある。


特集の内容は、バブルを謳歌した40代の女性が年下の男との恋愛を妄想し、それがアンチエイジングにつながる、というような趣旨である。そうした趣旨に即した小説、漫画、DVDなどの作品の紹介はもちろんのこと、書き下ろしの短編の官能小説も掲載されている。このような趣旨の特集が組まれたことに僕は度肝を抜かれた。


僕が違和感を覚えたのは、女性向けのアダルトビデオレーベル「シルクラボ」についての記述である。「行為中心の男性向けとは違って」「ドラマをしっかり描くこと」──このような表現には違和感がある。関係者の談話などもあわせると、まるで男は即物的で、ドラマが必要ないとでも言いたいようである。


むろん生身の女優を使った男性向けのアダルトビデオがそのような即物的な構成になっていることは否めない。だがそれは僕が20代前半のころにアダルトビデオなるものを見てみたとき、違和感を覚え、アダルトビデオなるものに触れることがなくなったひとつの理由ですらある──アダルトビデオは、タイトルこそさまざまな妄想をかきたてるものの中身を見てみるとただただ行為を描くのみである。


男性向けのアダルトビデオは男性の性欲を象徴したものではあるまい。換言すれば、アダルトビデオで性欲処理している男は多くはないのである。むしろ「物語」を解き進めることで行為に至るエロゲが一時期盛り上がったことは、男とてドラマを求めている──少なくとも『AERA』に掲載された短編小説程度の物語であれば──ということである。