少年Aは祖母を想像しオナニーしていた - 「絶歌」(太田出版)の意味するもの
なかば神格化された犯罪者だった男が、馬鹿げた内容の文章を書くことによって馬脚をあらわした。神戸連続児童殺傷事件、いわゆる酒鬼薔薇事件の加害男性が発表した手記からはそのような印象を受ける。
この手記の公表は、男に親近感を持っていた少年少女を幻滅させるものであり、社会にとってかえって好ましい結果をもたらすものだと考える。
この手記が馬鹿げていると思う理由のひとつは、今回の手記で発表された新しい情報は、これまで「殺人に性欲を感じる快楽殺人鬼」と思われていた男のイメージを、さらに悪い方向へ変えてしまうものであるということだ。
かつて男は殺人の際に射精したことがセンセーショナルに報じられていた。私はずっと彼が殺人のみをマスターベーションの際に想像しているものと考えていた。それは不気味なものであったが、そうしたエログロに魅了される少年少女たちもいたはずだ。
ところが今回の手記で発表されたのはそうしたイメージからはかけ離れたものである。いわく、大好きだった祖母が死んだあと、祖母の部屋で祖母のことを考えながらマスターベーションをしていたというのである。また、祖母の死の際に人間ではなく物のようになった祖母の姿に衝撃を受けたという。
彼はこの事実を犯罪後のカウンセリングでも語らなかったというが、「祖母の死を経て死に興味を持った」というストーリー自体は──証拠がないとして退けられていたものの──以前から指摘されていた。男は、これまで核心部分を語らなかったというだけのことである。
男が祖母を想像しながらマスターベーションをしていたという事実は、あまりにも衝撃的で不快感を催させるものだ。しかしそれはこれまで男に親近感を抱いていた少年少女たちとて同じことではないか。暴力的な表現を好む少年少女ですら、この事実に好感を持つとは思えないのである。
そして次に、男が新しい情報を発表した理由を推測してみたとき、そこには幼稚な感情があるとしか思えないということがあげられる。
いったいなぜこの男は、祖母のことを想像しながらマスターベーションをしていたなどという事実を公表したのだろうか。彼は自分の言葉で自分の「物語」を書きたいと考えたというが、祖母を想像しながらマスターベーションにふけったという事実が、いったいどのような物語をつむぐというのか。
けだし、それは新しい物語をつむぐというよりは、これまでにインターネット上で流れていた物語の否定である。たとえば私はこれまで、男が男児の殺害の際に射精したことを強調していた。それを読んだ者のなかには、男がいわゆる「ショタ」(少年愛者)であると考えた者もいた。
もし男がそうしたネット上の書き込みに苛立ち、自分が単なる「ショタ」ではないことを主張するために祖母を想像してマスターベーションしていたことを公表したのであれば、これほど稚拙なことはあるまい。
そしてこの手記が馬鹿げていると考える最後の理由は、文章そのものの酷さである。
ゴーストライターが書いたというような情報もあるが、それにしても酷い。第一部と第二部でまるで違う人間が書いているように見えるのである。私は第一部を男自身が、第二部はゴーストライターが書いたのではないかと考えている。
そして、文章自体も話題があちこちに飛んでときどきいつの話をしているのか分からなくなることがある。文章の構成が酷すぎる。
以上の点から、男に親近感を持っていた少年少女たちを幻滅させる効果を持つものとして、とても優れた書籍である。かつて少年少女を魅了した「酒鬼薔薇聖斗」は、実はどこにもいなかったのである。