十数年、見聞きした事例は豊富。だが、この問題を考え抜いているのか?──『ドキュメント ひきこもり』を読んで

ドキュメントひきこもり 「長期化」と「高年齢化」の実態 (宝島社新書316)

ドキュメントひきこもり 「長期化」と「高年齢化」の実態 (宝島社新書316)

著者は、ひきこもりに対して、孤立を避け交流することを勧めている。たとえば一度働いたことがあるが退職後ひきこもっている間に孤独な自問自答を続け、かえって働く意味が分からなくなった者がいるという事例を書く。そして「孤立」していれば自己に否定的な見解になるというのである。また、インターネットでの関係を好む者に対しては、匿名性を利用して「理想の自分像」のなかに生きていると書く。ひきこもりをインターネットから引き離すことを正当化するのである。


そして最終章では、医師が家を訪問し、親とでも良いので話していると、ひきこもり当事者が興味を持って出てくるということを書く。そして、ひきこもりに戻らないようにひきこもり当事者が集う「居場所」を用意するなどの取り組みが紹介されている。


これはこれでひとつの考え方である。


しかし、ひきこもりの具体的なケースについては雑多な事例をだらだら並べただけのような印象を受ける。はっきり言ってしまえば、踏み込んだ調査だとか深い考察が欠けているように見えるのである。


障害を例にすると、本書では「風呂場にこもってしまって、垂れ流し状態の人もいる」というような重大なケースがさらっと書かれている。排泄などの日常生活が送れていないのであれば障害者年金の受給を検討すべきであろう。しかし障害者年金の具体的な説明がなされるわけではない。


それどころか別の章で、大多数のひきこもり当事者を念頭において、障害者年金を受けることに悩む当事者がいると書く。親元で暮らしていると生活保護が受けられないとして、支援団体から世帯分離を勧められる実態があるという。そしてそのうえで、障害者年金という「裏技」があるが、ひきこもり当事者は障害者とされることに悩むのだ、と。


詳しい解説をせずにいきなり障害者年金を「裏技」呼ばわりするとは一体何だろうか。


障害者年金が支給されるのは「日常生活の用を弁ずることを不能ならしめる程度」の障害であるとする法令を説明するのが先だろう。糞尿が垂れ流しになるレベルの当事者であれば対象になるだろうし、無職でずっと部屋にいるというだけで日常生活に問題がなければ対象とはなるまい。ひきこもり当事者の世界で障害者年金は「裏技」と呼ばれているのかも知れないが、それをそのまま書くのではなく、批判的思考をもって書く必要があるのではないか。


本書の著者は十数年前からひきこもり問題を追っているという。なるほど十数年かけて見聞きしたケースはここで取り上げた障害にとどまらずかなり豊富である。しかし「十年間やってこれか……」という印象を抱かざるを得ない。