小林薫、金川真大ら3人の死刑執行に思う。

法務大臣による恣意的な死刑執行があってはならない。報道されている谷垣禎一法務大臣の発言は、まるで自分が裁判官であるかのようだ。いわく「いずれの事件も誠に身勝手な理由から尊い人命を奪った極めて残忍な事案。資料を精査し、諸般の事情を勘案して決めた」と。凶悪かどうかを判断し量刑を決めるのは裁判所の仕事ではないか。


ここでまず抑えておきたいのは、民主党政権下でも死刑執行は行われたが、小川敏夫法務大臣は「死刑は法相の職責である」という言い方をしているということだ。


3名を同時に死刑にしていることなど、小川氏と谷垣氏が法務大臣としてなしたことはほとんど変わらないかも知れない。しかし、ほんのわずかな言い回しの違いであるが、意識の違いが如実に現れているように思うのである。


そして次に、死刑の執行に法務大臣の裁量を認める規定は存在しない、ということも抑えておかなければならない。小林死刑囚は2006年に死刑判決が確定している。半年以内の死刑執行を定めた刑訴法を字面どおりに読めば、とうに死刑が執行されていてよい。再審請求などを考えてもである。


そもそも、小林死刑囚の死刑が確定した2006年当時に政権を担当していたのは自民党であり、安倍晋三である。谷垣法務大臣は半年以内の死刑執行を定めた刑事訴訟法に言及したというが、これは天に唾するようなものだ。


もちろん、刑訴法の定める半年以内に死刑執行しなかったとしても、ただちに違法とはならないという判例が存在する。東京地方裁判所平成10年3月20日判決は、刑訴法のこの規定は「一応の期限」であり、法的拘束力のない訓示規定であるとする。


だがそれは同時にその条文の趣旨が「死刑という重大な刑罰の執行に慎重な上にも慎重を期すべき要請と、確定判決を適正かつ迅速に執行すべき要請」の2点の調和を図るものであるともしている。どこにも大臣が犯罪の凶悪性を考えて死刑にするかどうかを決めてよいとは書いていない。


以上、法務大臣の恣意的な死刑に反対する立場から今回の死刑執行を考えてみた。なお私は死刑制度そのものには賛成である。