発達障害をめぐる放言録(1) 発達障害とは何か

自閉症スペクトラム障害研究史

 レオ・カナーが自閉症を報告したのは1943年。それから67年が経過した。そう考えてみると生涯を通じて研究された自閉症者というのはまだ1〜2世代くらいしかいないのではないか。
 そういや意外に誤解されているんだけれど、「自閉症母原病」というのは「偏見」の類ではなく、自閉症が発見された当初は精神科医もそう考えていたという「時代遅れの学説」なんですね。
 上野千鶴子が「自閉症はマザコンが原因」と言って問題になったという話がある。上野千鶴子の世代なら自閉症は母子関係に起因する精神障害であると習っていてもおかしくない。
 時期的に言うと、上野千鶴子は、日本で「自閉症は先天性のもの」ということを普及させるキャンペーンが行われた際に著名人として生贄にさせられたと言える。
 ちなみにローナ・ウィングがアスペルガー症候群を紹介したのは1981年。僕が生まれる2年前のことである。そう考えてみると僕は生涯に亘ってアスペとして研究されうる第一の世代に属するのではないか。(ただし僕自身は診断がないので研究対象とはなっていない)

精神医学に対する不信感

 昔、ADHDは「大人になれば治る」とか新聞に書いてあった。で、最近になってネットで調べたら「近年では大人になっても完治しないと考える医者が多くなった」みたいに記述されていて。僕はあれ以来、精神医学を信用していない。個々の精神科医にはいい人も多いんだけれどね。

アスペルガー症候群に対する誤解

 知り合いの女性が「私アスペかも」などと言っていた。単に周囲にとって耳の痛い意見もズバっと言っているだけのようだが、アスペだアスペだと言われたらしい。その女性も自分がアスペだと思い込んでいたようだが、全然違うよ、と思う。
 アスペルガー症候群の特徴を「空気が読めない」と記述したことによる誤解や偏見の類はすさまじい。世間の人間が無知蒙昧なのではなく、精神科医が一般向けの本を書く際に語弊のある言葉を使用しただけだ。

のび太ジャイアン症候群」という造語

 ADHDについては相当に練られた表現が使われている。司馬理英子という精神科医が考えた「のび太ジャイアン症候群」という造語である。
 のび太ジャイアン症候群という言葉は、両極端な性格の二人にADHD傾向があると指摘することで、ADHDとは性格には関係のないものだと印象づけることができている。
 さらに言えば「のび太ジャイアン症候群」という言葉はADHDの説明のためにつくられた造語であり、一般的でないが故に知ろうという気持ちが働く。少なくとも僕が中学生のときあの本を書店で見かけ「何それ?」と思って手に取った。
 「アスペルガー症候群は空気が読めない」と言われると、分かりやすいが故にそれ以上知ろうとしなくなる。すなわち分かったつもりになるのでありバカの壁が生まれる。

知的能力の高さはアスペルガー症候群の症状を抑えるか?

 僕は「アスペルガー症候群は知的能力の高さで誤魔化せる」「ADHDは知的能力の高さでは誤魔化せない」が持論。ただこれは知的能力の高い層が考えることらしい。
 以前、発達障害についての新書を読んだ。アスペ・エルデの会というところではエルデ(LD=学習障害)のほうは成長して困難がなくなって抜けていく会員が多いのに、アスペは困難が減らずに会員が増加の一途という記述があった。

アスペルガー症候群と会話

 アスペは会話に支障があるのかという話題は当事者か当事者を見ている人でないと分かりにくい。アスペは「言語障害がない」と定義されているのだけれど、相手の心が分からないことによって会話に支障が生じることはある。
 けだし普通の人間は「文法的な正確さ」よりも「フィーリング」で喋っている。しかしそのフィーリングなるものが普通の人と異なるアスペは、時として他人の言ったことをまるで理解していないかのような様相を呈することがある。
 しかしこれらは「知的能力」と「長期的な視野」によって補うことができる。相手の心は分からずとも「積み重ねられた事実から生まれる文脈」は理解可能だからだ。

これから社会に出る若いアスペルガーの子たちへ

 これから社会に出るであろう若いアスペルガーの子に言いたいのは「人生を誤らない判断力」を身につけること。日常会話で多少トンチンカンなことを言ってしまうくらいはたいしたことではない。最終的に人生を誤らなければそれでいいと開き直ること。
 そして「法」と「利害関係」を正確に理解すること。これは法的な正義を振りかざしたり自分の利益を極大化するという意味ではない。「他人に」どのような権利があり利害関係があるかを理解し配慮すること。けだし表面的な言葉から感情を理解できなくとも法や利害関係を論理的に推察することはできる。
 最後に「自分が知らない事実」に思いを致すこと。今ある事実から導き出される結論は尊重すべきだけれど、それが絶対の真理であるかのような言い方はしない。

発達障害と才能

エジソン

 ADHDだったと言われるトーマス・アルヴァ・エジソンについて語られるとき「(学校教育ではなくて)のびのび育てると良い」と言われると違和感がある。僕はエジソンが歴史に名を残せた理由は「母親がつきっきりで」教えたことにあると思っている。
 エジソンの母親のように、学校教育すら拒絶して「つきっきりで」「子供の特性を見極めながら」子供を育てるのは生半可なことではないと思う。しかし「のびのびと育てる」という言葉はそうしたニュアンスを含まないうえ、自由放任と称した放置すらも包含する言葉だと思う。

ビル・ゲイツ

 ビル・ゲイツアスペルガー症候群ではないかという指摘はときどき聞く。しかし、そこで記述される特徴が「興味の範囲がせまく、オタクっぽい」であったりすると、それはビル・ゲイツの成功した要因とは違う、と思う。
 ビル・ゲイツが成功した要因のひとつに、オープンソース(プログラムを公開して、ほかの人が改良版をつくったりするのを自由にすること)が当たり前であった時代に、空気を読まずにソフトウェアの権利を主張したことがある。別にオタクっぽさを極めたから偉くなれたわけではないと思う。
 ビル・ゲイツが「技術系のアスペ」であったかどうかは分からない。ビルゲイツより才能があった人たちの話はよく出てくる。しかし弁護士を父親にもつ彼が、法律や契約の場面でアスペルガー的才能を発揮した「言語型のアスペ」である、ということは疑いようがないと思う。